
進化を続ける東京の町焼肉。今回ご紹介するのは、西新宿と中野坂上の中間に位置する、知る人ぞ知る、ディープな焼肉店「焼肉 若葉」。ソムリエで調理師で製菓衛生師で……と多芸多才なお母さんの魅力あふれるおもてなしの一部をご紹介します。
「お父さんの店だからね。帰ってくるまで私が守らないと」
2018年に北新宿から西新宿に移転する前、この店はディープな焼肉好きと新宿界隈の人だけが知る店だった。SNS投稿はもちろん、写真撮影や取材も基本はお断りだった。地元の常連が集い、芸能人がお忍びで訪れる。そのイメージはいまなお色濃い。
夫婦で切り盛りする「焼肉 若葉」。1973年創業の西新宿にあるカウンター中心の小さな店だ。間口の広い右の引き戸はダミー。その左にある勝手口のような扉から店内を覗く。
「いらっしゃーい」と今日もごきげんなお母さんの胸にソムリエバッヂが光る。流暢な一人語りは聞いて楽しく、常連客との小気味いいやり取りは、肉の灼ける音と並び立つBGM。それでいて一見客も置き去りにしない。

「10年くらい前に北新宿から西新宿に移ってきたの。でもねえ。最初に図面引いた人が『ここ、ぶち抜けますから』って言ってた柱が実は大黒柱だったことが後からわかったのよ。結局そのまま内装まで進んじゃってねえ。ずっと常連さんとゆっくり営業しているスタイルだったから、白くて小さい看板だけ出して。看板の筆文字はいとうあさこさんにお願いしたの」

楽しげな雰囲気にするっと飲み始めてしまったが、もちろん本筋は焼肉だ。この店の「安くはないかもしれないけど、そんなに高くもない」という7,000円のコース(肉のみ。ドリンク等別)では、この世にふたつとない焼肉(とサービス)にありつける。
その全容……は一度では紹介しきれないので、その一端をここで紹介したい。
コースの組み立ては、鮨店のよう。肉は淡麗から濃厚へと流れ、最後には焼肉店で味わったことのない味わいに胃袋が鷲掴みにされる。と同時に、随所に盛り込まれるお母さんの遊び心にヤラれてしまう。

肉は一皿目からすでに違う。「とりあえずタン」ではない。まずは鶏から!それもナンコツなのだ。着座した正面のカウンター上のレーンにロースターが滑り込んできて、ガスホースがつながれる。
「最初はね。この『天使の鶏ナンコツ』から。これがビールに合うの。このロースターはもう50年選手。だからガス管が破けてここの穴がつながってるの。だからここだけ火力が強いのよね。ふっふっふ」
お次に「とりあえず」のタンを経て、「キングホルモンと機嫌のいいナス」と言われて差し出された皿を覗いたら、確かに春から機嫌がいい(&かわいい)。
ホルモンとナスは時間がかかる。ゆっくり焼き上がりを待っていると突然、何かが差し出された。あれ。これはさっきコース外で注文して食べきったはずの「ウマウマ(旨い馬)のユッケ」の皿ではないか。皿の上に鎮座しているのは猫型にかたどられた一口ご飯。「ユッケの卵黄ダレで三毛猫模様になっちゃうの」と言う。確かに全方位的にまさしく猫!さすが、すしアカデミー修了生だけのことはある。
そうこうしている間にナスが焼き上がる。お母さんがおもむろにホルモンをトングでつまんでナスの上でトントンと脂を落とす。じゅわっとナスに染み入るホルモンの脂。ナスと脂の相性の良さは言わずもがな。もはやナスの機嫌は伺えないが、三毛猫を目の前に2杯目に突入したこちらの機嫌はダダ上がり。
その後、「肉の正体は食べてからのお楽しみ」という「ハリハリハリー」を経て、和牛のカルビ&ハラミへ。和牛はサシが控えめな黒毛和牛という肉好きが泣いて喜ぶ仕入れである。辛抱たまらず、ここでご飯を発注する。カルビのタレと肉汁をライスに軽くワンバンさせた後に口に放り込む。カルビにしては分厚いカットだが、黒毛の柔らかさがあるからこそ成立する味わい。ライスの甘味にも軽々と乗って口のなかではちきれんばかりに膨らんでいく。
「私が肉を切るようになって、まだ数年なんですよ。数年前からお父さんが体の調子をちょっと崩してね。調子の悪いときには、とりあえずマスコット的にそのへんに座ってもらって、混んできたら移動してもらってたの。当時は『俺を邪魔にしてる』って文句も言われたわよ。ただ邪魔だっただけで、邪魔にしてなんかいないのに。おほほほほ」
そんな軽口が口をつくほど仲睦まじい夫婦だが、昨年秋、夫の敏明さんが病に倒れ、現在も闘病中。純子さんは毎日午前中から店で仕込んで午後には見舞い、その後店へ戻って再び営業をこなす。
「入院は何かと物入りだから稼がないとね。実は店頭の看板は、移転前の店のををはがして、イタズラでトイレの内側に貼っておいたものなのよ。昔からの常連さんが喜んでくれるかなって思って。実際、トイレから『わーっ!』ってお客さんの驚いた声が聞こえるとうれしくてねえ。でもいまは、入院費を稼がないと。そう思って、店を目立たせるために、また引っぺがして店の前に置いたの。稼がなくっちゃ。女将、がんばる!」
となれば、客のこちらが湿っぽくなるわけにはいかない。軽いと言えばこちらもコース外の、締めのシフォンケーキの軽さも特筆もの。製菓衛生師の資格を得る遥か前、10代の頃から焼き続けてきたシフォンケーキの微塵も重力を感じないふわっふわをぜひとも体験してほしい。
しかもこのシフォンは飲めるシフォン。ほの甘い風味、上品な味わい。この日のバナナシフォンは「吟醸酒の香り、酢酸イソアミルに通じる香り。ぜひこの『吟醸酒 桜田門 警視庁』と合わせてみて。頂き物だけど(笑)」


さすがの酒ディプロマ。ここで干しぶどうの泡盛漬け、店オリジナルの『國華レーズン』が差し出され、「漬けたお酒と一緒にどうぞ」と沖縄徳利のカラカラに『國華』(津嘉山酒造@名護市)が注がれる。泡盛マイスターならではの渋すぎるセレクトに涙腺がゆるみそうになったところで、グラスに残った赤ワインにうちの『Only You』も合うのよ」「あ、新しくお酒に合うクッキーも焼き始めたの」と次々に酒と甘味の提案を頂戴することに。
たくさんのお話、たくさんの肉、たくさんの酒にたくさんの甘味。その最後に一日に一度、一種類しか作らないというスープを頂いた。この日はたまごスープ。ここでも具材のにんじんが猫と魚の型に抜かれている。

たまごと野菜のスープのどこまでも優しい味わいが胸の奥まで沁みる。「お父さんが帰ってくるまで、できることはなんでもやらなくちゃ」と微笑むお母さんの言葉とともに。

文・写真:松浦達也