
食いしん坊倶楽部のLINEオープンチャット「ナチュラルワイン部」では、今後、メンバーから寄せられた「ナチュラルワインの注ぎ手」を徹底取材してお届け。第10回は昨年7月、池尻大橋にオープンした『passe temps(パストン))』の山田隆未さんです。

扉をあける前からいい予感がした。裏道沿いの商店街。昭和の時代に建てられたのだろう、いい感じにやれた木造の建物。全面ガラス窓で外と中の境界線を感じさせないから、ふらりと躊躇なく扉を開けられる。
大きな円卓を囲んでゆるりと立ち飲みする客もいれば、カウンター席に腰かけてじっくりワインを味わうひとり客も。その中心でワインを注ぐ隆未さん、料理をつくる由樹さん夫妻があうんの呼吸で颯爽と切り盛りしている姿も見ていて気持ちがいい。



店の名はpasse temps(パストン)。腰まで届く長い髪を後ろでたばね、あごヒゲをたくわえた隆未さんが、造り手のサイン入りボトルを大事そうに抱えながら店名の由来を語ってくれた。
「フランスはボージョレの造り手、ミッシェル・ギニエが2015年に造ったワインの名前です。由樹ちゃんも僕も、ミッシェルの素朴で優しいワインが大好きだったので、この名前で店をやりたいと考えていたんです」
昨年、店をオープンする前にフランスでミッシェルのワイナリ―を訪れ、店名にしたいと本人に伝えたという。「passe temps」。直訳するなら「時を過ごすこと」か。けれど、その意味にはもっと奥行きがあった。
「もともとその言葉のニュアンスに惹かれていました。ミッシェルに会ったときも“時間が過ぎる”ということについて話してくれて」
ボトル1本でも、飲み始めと終わりでは味わいが変わる。熟成させることでも変わる、そういう時間の流れも含んでいるのだと。
自分たちの店で、お客さんみんなに過ぎゆく時間を楽しく過ごしてくれたら――。その思いと言葉が響き合っていたから、「二つ返事でOKしてくれたときはたまらなく嬉しかったですね」と振り返る。
ヴィステルという名の愛馬で畑を耕し、樹齢の高い古木を慈しむよう地道に育ててきたミッシェル。そんな昔ながらの手仕事を目の当たりにして、人柄にも惚れ込んでしまったという。


今でこそどっぷりと沼に浸っている隆未さんだが、サラリーマン時代を過ごした20代半ばまではワインのよさがまったくわからなかったそうだ。「でも、ワインを楽しめなきゃ人生損している気がして」。評判を調べてはさまざま飲んでみたものの、大規模生産のワインはどうしても好きになれなかった。そんなとき、旨いもの好きの友人に誘われて行ったのが自然派ワインのバーだった。
「“自然派”って何? ヨガとかやっている意識高そうな人がおしゃれに飲んでいるものだろうかって一瞬引きました。でも飲んでみたら、あれ面白いぞ? と。通ううちに気づけば沼落ちです」
落ちゆくさなかで、こんなワインもあるのか……! と唸ったのが、軽やかでするする喉を通り抜けるボージョレのガメイだった。
「なかでも印象深いのはメーカーズディナーで出会った造り手のジャン・フォワヤール。今も、ナチュラルワインを好きになった原点として真っ先に思い浮かぶ1本です」。

「これも僕の意識が変わったワインですね」
そういって隆未さんがテーブルに置いたのは、南仏ローヌ地方アルデッシュの造り手、ル・マゼルだ。ボージョレのような冷涼産地の軽やかなフランスワインが好きな隆未さんは、南の産地のワインを進んで飲むことはあまり多くなかったそう。けれど、現地で飲んだ「ラルマンド」は、シラー100%とは思えないほどに優しかった。
「昨年、マゼルのワイナリーを訪ねてみたら、なんだろう。南仏の地域性なんでしょうか。とにかく温かい人たちで。由樹ちゃんと2人で、南仏のワインてこんなにおいしかったっけ? と一気に感化されてしまったんですよね」

造り手に会えば、その人のワインを好きになる気持ちが加速するのは容易に想像できる。「味はもちろんですけど、この人が造ったワインだから店で出したいって気持ちになっちゃいますよね。造り手によっては、たまに個性的すぎる味のボトルがあったりもするけれど、それも含めて愛おしい。これ以上生産者に会ってしまったら、推しが増えすぎて怖いくらい」。そう笑いながらも会いたい生産者は尽きないというから、パストンで飲めるワインはますます面白いことになりそうだ。

「ナチュラルワインの魅力は、味。そして造り手の存在がダイレクトに伝わってきて、生き生きしていること」。そう話す隆未さんは自分の好みにブレがない。だからパストンで飲めるのは隆未さん好みのじわじわくるジミッとした味揃い。
そんな液体に合わせて由樹さんがつくる料理もまたジミッとくる。スペシャリテのパテは、豚の背脂や鶏レバーをしっかり加えたクラシックなレシピで、落ち着いた旨味が広がるおいしさ。ハマグリとグリンピースの蒸し煮、これは香りにやられてしまう。ペルノーで酒蒸ししただしとハーブのニュアンスの入り混じった爽やかで滋味ある香り。隆未さんが合わせてくれたハーバルなソーヴィニヨン・ブランにぴたりとはまる。



コロナ禍を経て、夜遅くまで開いている店がめっきり減ったこのご時世にあって、パストンの閉店は深夜2時。
「僕ら飲食店で働く人間は、店を閉めてから一杯飲もうと思ってもなかなか行き場がないんです。だから、夜中でもワインが飲めて仕事の話ができるような場所があったらいいなと思っていたもので」
ご近所さんにも同業者にも愛され、オープンから1年。もっとずっと前からこの商店街にあったかのような馴染み方をしているのは、古民家のなせる業か、隆未さんの注ぐジミッとしたワインの味に呼応してのことか。銭湯のあとにでも立ち寄りたくなるような、味わいある空間。気づけばいい夜だったと思える。そんないい時間の流れをつくる人が、パストンにはいる。

文:安井洋子 撮影:長野陽一