
福岡・博多を訪れたなら、ぜひとも体験したいのは名物の屋台。数あるなかでも「屋台バー えびちゃん」は、食後の一杯を楽しめるのはもちろん、こぢんまりとした空間で地元民と心を通わせる屋台の醍醐味を満喫できる一軒だ。
福岡・博多の夜の景色に欠かせない存在に、100軒以上点在する屋台がある。日暮れが近くなると中洲をはじめ歓楽街を中心に準備が始まり、やがて昼間とは景色が一変。ラーメン、餃子、焼鳥、おでん、天ぷら、果てはイタリアンやフレンチまでジャンルは幅広く、立ち並ぶ様子にわくわくさせられるが、そのなかでも唯一無二のバーが天神の一角にある「屋台バー えびちゃん」だ。初代・海老名昭夫さんが40年前に開業した屋台群のなかでは老舗であり、二代目を継いだ海老名剛さんと妻の亜希子さんが立つコンパクトな空間は、旅人はもちろん地元の常連客で連夜賑わう。
眩しい灯りをともなった明るさで誘いかける店が多い一方、えびちゃんは濃紺ののれんや戸板が相まって控えめな姿。闇に静かにとけている感がある上、なかの様子が伺えないため初めてなら躊躇するかもしれないが、勇気をもって一歩踏み出せば、屋台とはいえそこはまさしくバー! ぎっしり高密度で棚に並ぶボトルやグラス、天井や壁を彩るコースターなどが渋い趣を醸し、オーセンティックという言葉が浮かぶ小宇宙なのだ。
コの字型のカウンターを囲む席は、10人少々でいっぱい。混み合うことも多いが、一人ならばすき間に入れる可能性は高まる。カウンター内と客席の距離は近く、海老名さんや亜希子さんの笑顔を前にすれば肩の力は抜け、オープンエア的なスタイルではない分、地下に潜む店を訪れたかのような心地良さを覚える。




限られたスペースながら、カクテルの揃えは一般的なバーとなんら変わらない。カウンターにはライムやオレンジ、グレープフルーツといった果物も。すなわち季節の味を含め、フレッシュフルーツを使った一杯も楽しめるのだ。自分の定番を頼むのもいいが、好みを伝えておまかせするのも得策だ。そのほかにもウイスキー、「田中六五」や「三井の寿」など地元の銘酒、各種焼酎など、アルコール類が実に多様なのもうれしい。
なかでもおすすめしたいのは、2種類のオリジナルカクテル。旬のフルーツを使う「これはうまい」は程よい甘味と爽やかさが喉を潤し、文字通り旨い! 対して「これはまずい」というドイツの薬草酒「ウンダーベルク」を使う大人味の一杯も、絶妙なバランスで立つ苦味があり、これまた旨い! ドイツの食後酒の定番であるウンダーベルクは胃を活性化させる働きがあるともいわれ、実際、筆者は猛烈ハードな食べ歩きミッションの際にカバンに入れて戦いに臨み、合間、合間に助けられた(ような気がした)。というわけで、あれこれうまかもんが誘う博多の食を満喫した後の、リセットの一杯として「これはまずい」を頼りにしているのだ。
こぢんまりとした屋台での過ごし方は長時間場所を独占せずにさくっと飲んで立ち去るのが理想だが、メニューを追えばその意思は揺らぐ。だってえびちゃんは、ミックスナッツやオイルサーディンといった軽めのつまみだけではなく、料理のメニューも豊富に揃うんだもの。厚切りベーコンやポークやマグロのステーキなどの文字が目に入れば、腹のすき間と相談したくなるが、状況次第では空席待ちの客に席を譲り、幸せを分かち合うのが流儀。次の機会へと思いを馳せる、心の余裕を持っていただきたい。





カウンターを取り囲む客席はたいがいぎゅぎゅっと身を寄せて座るため、お隣との会話の花が開く機会は少なくなく、ひとり飲みならよりご縁は生まれやすい。ときには、店全体が一つの話題で盛り上がることも。とある夜は「これからラーメンを食べに行こうかと……」との声に、海老名さんはもちろん、あちらこちらからおすすめの店名が飛び交った。福岡の方たちの地元愛は、たいそう熱い。旅人だとわかれば「明日はどこに?」などというやり取りも生じ、飲食店を含めて巡るべき場所の指南もあふれ出る。筆者の場合、お隣さんが翌週の出張先からいらしたという偶然に恵まれ、期せずしておいしい情報をたんまり頂戴したこともあった。もちろん、ひとり静かに美酒を味わうのもいい。席によっては空間を巧みに活用した海老名さん夫妻の仕事ぶりが垣間見え、感服。博多弁のざわめきやシェイカーを振る音は、心地良いBGMになる。
屋台とはいえ福岡ではいずれの店も定位置があり、グーグル先生も案内してくれるので迷う心配は無用だが、もしもの場合は重厚感のある日本銀行福岡支店を目印にするといい。なににしても、えびちゃんでのひとときで心にしみるのは、福岡をたっぷり楽しいでほしいという海老名さんや常連さんたちの思いと、その懐の深さにふれる喜び。屋台って、福岡って、よかぁ……としみじみ思いながら、温かい気分に包まれることだろう。

公式サイト
https://www.yatai-bar-ebichan.com
文:山内史子 写真:松隈直樹